2007年4月9日月曜日

浅野さん、敗れる。

石原慎太郎 2,811,486
浅野史朗  1,693,323
浅野さんが、敗れました。残念で、悲しいです。
実は、私たち、勝手連・練馬大泉は、今まで、勝手連や選挙運動をやったことのない、
二人が立ち上げたものです。私は、初めは、反石原、であればいいと思っていました。
しかし、浅野さんの話しを講演会で、見聞きするにつれ、「浅野さんこそ、都知事にふさわしい」
と思うようになりました。知れば知るほど、石原さんは、都知事になってはならない人で、
浅野さんは、都知事にふさわしく思えました。
選挙は、勝ち負けです。しかし、今回の都知事選を通して、途中から加わった仲間との出会いも
含めて、いろいろなことを知りました。実践の知、ともいうべきものでしょう。

今後、このブログは、名前を変えて、継続して行きたいと思っています。
見にきて下さったみなさん、どうか、また、時間のある時に、このブログにいらして下さい。

このブログを立ち上げた二人は、浅野さんの言葉「政治をあきらめない」を、私たちの今後の
マニュフェストにさせていただきます。

いずれ、都知事選の結果については、書きたいと思います。
では、また。

2007年4月2日月曜日

きっこのブログ事件

ネット時代の勝手連と公選法、というブログにきっこのブログ事件というのが掲載されている。
是非、読んで、考える材料にして下さい。
http://katteren.blog97.fc2.com/blog-entry-10.html

問題となったきっこのブログの検討資料へのキャッシュは
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=wrt&u=www.kikko.cocolog-nifty.com/kikko&d=XMKwGBIeOhQq ( 2007/3/28 23:59:12 ) のキャッシュ

石原都知事言行録

石原都知事の言行録を見つけました。
http://d.hatena.ne.jp/vox_populi/

東京オリンピックとゲイタウン新宿2丁目

ゲイタウン新宿2丁目
http://gayjapannews.com/news2007/news43.htm

演説が見られます。

ネットで発見!

http://video.google.com/videoplay?docid=-415160452146378090

他の方の演説の様子も見つけられれば、順次紹介します。


都政を考える講演会レポート

4月1日(日)に練馬区石神井公園で行われた講演会の様子をレポートする。
五十嵐敬喜さん(法政大学教授)
 専門は都市政策論と立法学。石原現知事が3選されることが当たり前のようになっていた時に、
これじゃいけないということで、ある人の心に火をつけようと思った。その声に答えてくれたのが、前宮城県知事の浅野史朗さんである。
上原公子さん(国立市長)
 市長の立場から、見えていた石原都政の8年を語った。石原さんは、週に2-3日仕事をするというが、私は、1年360日働いて、7kgやせた。都知事が、週に2-3日しか仕事をしないなんてありえない。そして、石原さんになってから、都庁は、市を無視するような態度をとるようになった。
暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)
 石原さんは、豪華外遊(?)を、ものすごいお金をかけてやっているが、私は、私財を投じて、子どもたちを外国に連れて行って、難民キャンプ等の子どもたちとの交流を続けてきた。石原さんは、自分と意見が違うと、徹底的に相手を攻撃する。私が講師を務めることになっていた講演も、石原さんに批判的だと言うことで、後から断られた。こんなひどい都政を、あと4年も続けるのなんて、とてもがまんできない。
岡本厚(「世界」編集長)
 前宮城県知事と付き合ってきた中で、知った浅野史朗さんの人柄について話した。非常に真面目な一方で、ひょうきんな所も持ち合わせている。話しもとても面白く上手い。人情かで、特に福祉の話しの時など、絶句して涙することも多い。こういった面が、メディアを通しては伝わりにくい。
 石原都政は、東京を一大ビジネスシティにしようというもの。だから、弱い人が目に入らない。弱者の言うことに耳を傾けない。
 そのまんま東さんは、選挙戦ラスト3日で、状勢をひっくり返した。それは、若者のメールだった。
和田春樹(東大名誉教授)
 (ちょうど、話しを聞いておらず、別のことをしていたため、記憶がありません。すみません)

スペシャルゲスト現る
前宮城県知事 浅野史朗さん
 私は、59歳。宮城県知事を3期勤めて、宮城から出て、交友関係も広がり、とても充実した生活を送っていた。年収も知事時代の2倍になった。(注:浅野さんは、現在、慶應大学教授)
 実は、私のハートに火がついた一番の理由は、私は、大学で地方自治を教えているんだけれど、この、(東京での)地方自治への、学生も含めた多くの人の無関心。これで、いいんだろうか、という気持ち。やっぱり、それじゃ、いけないでしょ。
 私は、人権派です、と言っているけど、知事になろうという人が人権派というのも、悲しいこと。知事であれば、弱い立場の人を、政策で守るのが当たり前なのに、石原さんには、それがないのでは。
 (中略)(質問に答えて)
 宮城県知事3期で、借金増やしたと言うけど、辞める時は、私は支持率85%だったんですよ。その借金は、県債で、必要なものを作るために、いわば、住宅ローンのようなものなんです。例えば、
宮城県には、こども病院を作りました。東北で初めて(?)の子どもの専門病院です。そして、(どこそこに)トンネルを作りました。そういったことで、今まで救えなかった命が救われるんです。
 また、警察の情報公開を求めて、警察と対立したと言われるけど、そんなことはありません。警察の捜査情報を公開しろ等ということがあるわけないじゃないですか。公開して欲しいと言ったのは、捜査協力者謝金(報酬)の件で、実際には協力者に支払われていないのに、別のことに使われているという内部告発があったので、予算執行者の知事として、どういう風に使われているか、について明らかにして欲しいと言ったのです。これは、当然のことでしょう。
 
~生の浅野史朗さんにふれて~
 福祉の専門家ということが強調されるが、むしろ、政策決定のプロというべきだろう。行政の政策には、万人に利益をもたらす政策、つまり、正解というものは、考えにくい。
 たとえば、築地移転問題を例に挙げれば、築地の人で移転に反対している人も多い。週間金曜日によれば、移転先豊洲には、すでに予定用地の1/3の土地買収で720億円を使っている。さらには、築地市場を売却すると1兆円以上ではないかと言われている。一体、都市開発の名の下に、移転されるべきものなのだろうか。もともと、東京都は、移転に反対で、築地の再整備(91年着工、96年中断、400億円)を進めていたという。
 この築地をめぐるちぐはぐさは何だろう。浅野さんであれば、どうしていただろう。政策決定者は、まず、関係者の話を聞くに違いない。そして、どうしていくかを考えるだろう。この過程で、情報公開が生きるのではないだろうか。情報公開をし、どうしたらよいかについて、議論の場を用意し、より良い政策を選んでいくことになるだろう。政治は、政策を決めていく手段である。
 浅野さんの話しの聞き方を観察していて、理解できたのだが、浅野さんは、人の話を聞いて考えている。つまり、浅野さんは、政策決定まで、いろいろ考えられる人であり、変われる人である。つまり、政策決定の過程に、関係者や市民がかかわることができる。もちろん、議会もである。専制政治家の石原さんとは、大きく違っている点ではないだろうか。

 
 

2007年3月30日金曜日

都政を考える講演会

興味深そうな講演会を見つけました。

http://newstudying.blogspot.com/

2007年3月22日木曜日

言葉の問題

 政治は、もともと政(まつり)事(ごと)だし、選挙は、祭りに他ならない。選挙は、勝ち負けの世界だから、スポーツと同じように、好きな、ひいきの、ファンの候補者を応援する。               

 この、好きなとか、ひいきのとかいう感覚、感情が元になって、人は、その人の好きな所を集めたり、また、別な人の嫌いな所を集めたりする。そして、確信を持って、お互いに対立するようなる。こういったことで生じる信念の対立は、選挙以外では、好ましくない場合もある。逆に言うと選挙だから、許されるのかもしれない。

 ところで、私は、心理学を専攻している。日頃、指導教員から、どういう根拠で?、それは科学的?、論証可能?と指摘を受けることがある。選挙を観察してると分かるのだが、ある候補者の支持者が、同じ所を見て支持してるとは限らない。心理で言えば、同じ人を見て、その人の性格や状態を表す場合に、見方が見る人によって違うことがおうおうにしてある。ということは、客観なんてないのかもしれない。

 人は、社会の中で生きているが、同じ社会とは言っても、それぞれに抱えている現実は違っているし、その違いを表す言葉もまた、主観的なものでしかありえない。一体、共通理解がありえるのだろうか。ありえるのは、自分の主観でしかないし、自分が感じとれるのは、自分の感覚だけかもしれない。あるシンポジゥムで、養老孟司が次に様なことを言っていた<汚くなった(古くなっただったかな)日の丸は雑巾にして良いか> あなたは、どうするだろう。

 私は、<君が代でない国歌を作ろう>と呼びかけたい。明治以降作られた国や歌の形をもう一度それぞれに捉え直してみよう。私たちは、みんな、社会との関係の中で生きているけど、自分の大事にする価値が、個の自由にあるのか、集団への忠誠にあるのかを、よーっく考えて決めるべきだろう。決められるということについては、私たちは、まだ個の自由を享受していると言えるだろう。

 選挙は、大事な祭りである。

2007年3月21日水曜日

青を!

 青いハンカチ、バンダナ、スカーフでできること。
 家の塀に結ぶ。
 職場で、机の上に青いハンカチをおく。
 バッグにつける。
 スーツやジャケットの胸ポケットにいれる。
 バンダナやスカーフを身につける。
 車の後部ウインドウにはる。
 ………。
 
 青いイルミネーションで、庭の木をかざる。

 青い色で、明日からの2週間、楽しく過ごしましょう。

石原相手にホームランを!

  私が、一番、石原の政策で、抵抗を覚えるのが、学校現場への日の丸・君が代の押しつけである。日の丸は、国旗だし、君が代は、国歌だ。法律で定められていることは知っている。しかし、私は、君が代を国歌としていることには異を唱えたい。君が代は、天皇制を讃える歌であり、国民主権をうたった憲法にそぐわない。
  なぜ、公立小中学校及び都立高校の卒業式の様式や方法が、都教委によって決められなければならないのか、私には分からない。どうして、一元的な価値を押しつけるのだろう。そして、異を唱える教師をとがめるのだろう。石原は「君が代を歌うのは、当たり前じゃネェか」と言うかもしれないが、子どもの式典で、一度も君が代を歌ったことのない私には、価値の押しつけにすぎない。
 学校のように、地域に根ざし、伝統を持ちうる現場には、事細かに決めるのではなく、現場にもっと任せることを求めたい。現場の教師たちの創意・工夫に任せてみたらどうだろうか。トップダウンで決めるだけではなく、ボトムアップを求めたい。たとえば、1クラスの学級定員の問題を挙げてみよう。小中学校は、1学級40人定員だ。この人数を多く感じるかどうかについて、現場の先生が一番実感していることなのではないだろうか。イジメや不登校が問題とされる度に、一人一人の生徒への、先生のアンテナを高くして、と言われるが、それが可能な人数なのかどうかをまず検討すべきである。人数を減らして、イジメや不登校が減る可能性があるのであれば、そうしてほしい。都の場合、財政的に可能かどうかは知らないが、福島県では、33人学級が実現されている、と聞く。
 四字にたとえてみれば、石原は頑固一徹、浅野は熟慮実行という所だろうか。今、東京が必要としているのは、頑固一徹ではなく、情報公開をしながら、政策を進める、熟慮実行である。
  「私は、こう考えるけど、君の考えはどうだろうか」なのか「私は、最高司令官であり、こう考えるから、従うのが当然」なのかの違いである。前者は、市民を育てるが、後者は、市民を従わせる。あなたは、どちらを望むだろう。私は、多元的価値を認めうる人こそ、東京にはふさわしいと思う。
 石原は、かつて「No!と言える日本」という本を著した。私は、すごい政治家だと思った。しかし、石原は「No!と言える教師」を認めなかった。だから、私は「石原にNo!と言う」 
 石原相手に、ホームランを!