| 私が、一番、石原の政策で、抵抗を覚えるのが、学校現場への日の丸・君が代の押しつけである。日の丸は、国旗だし、君が代は、国歌だ。法律で定められていることは知っている。しかし、私は、君が代を国歌としていることには異を唱えたい。君が代は、天皇制を讃える歌であり、国民主権をうたった憲法にそぐわない。 なぜ、公立小中学校及び都立高校の卒業式の様式や方法が、都教委によって決められなければならないのか、私には分からない。どうして、一元的な価値を押しつけるのだろう。そして、異を唱える教師をとがめるのだろう。石原は「君が代を歌うのは、当たり前じゃネェか」と言うかもしれないが、子どもの式典で、一度も君が代を歌ったことのない私には、価値の押しつけにすぎない。 学校のように、地域に根ざし、伝統を持ちうる現場には、事細かに決めるのではなく、現場にもっと任せることを求めたい。現場の教師たちの創意・工夫に任せてみたらどうだろうか。トップダウンで決めるだけではなく、ボトムアップを求めたい。たとえば、1クラスの学級定員の問題を挙げてみよう。小中学校は、1学級40人定員だ。この人数を多く感じるかどうかについて、現場の先生が一番実感していることなのではないだろうか。イジメや不登校が問題とされる度に、一人一人の生徒への、先生のアンテナを高くして、と言われるが、それが可能な人数なのかどうかをまず検討すべきである。人数を減らして、イジメや不登校が減る可能性があるのであれば、そうしてほしい。都の場合、財政的に可能かどうかは知らないが、福島県では、33人学級が実現されている、と聞く。 四字にたとえてみれば、石原は頑固一徹、浅野は熟慮実行という所だろうか。今、東京が必要としているのは、頑固一徹ではなく、情報公開をしながら、政策を進める、熟慮実行である。 「私は、こう考えるけど、君の考えはどうだろうか」なのか「私は、最高司令官であり、こう考えるから、従うのが当然」なのかの違いである。前者は、市民を育てるが、後者は、市民を従わせる。あなたは、どちらを望むだろう。私は、多元的価値を認めうる人こそ、東京にはふさわしいと思う。 石原は、かつて「No!と言える日本」という本を著した。私は、すごい政治家だと思った。しかし、石原は「No!と言える教師」を認めなかった。だから、私は「石原にNo!と言う」 石原相手に、ホームランを! |
2007年3月21日水曜日
石原相手にホームランを!
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