2007年3月22日木曜日

言葉の問題

 政治は、もともと政(まつり)事(ごと)だし、選挙は、祭りに他ならない。選挙は、勝ち負けの世界だから、スポーツと同じように、好きな、ひいきの、ファンの候補者を応援する。               

 この、好きなとか、ひいきのとかいう感覚、感情が元になって、人は、その人の好きな所を集めたり、また、別な人の嫌いな所を集めたりする。そして、確信を持って、お互いに対立するようなる。こういったことで生じる信念の対立は、選挙以外では、好ましくない場合もある。逆に言うと選挙だから、許されるのかもしれない。

 ところで、私は、心理学を専攻している。日頃、指導教員から、どういう根拠で?、それは科学的?、論証可能?と指摘を受けることがある。選挙を観察してると分かるのだが、ある候補者の支持者が、同じ所を見て支持してるとは限らない。心理で言えば、同じ人を見て、その人の性格や状態を表す場合に、見方が見る人によって違うことがおうおうにしてある。ということは、客観なんてないのかもしれない。

 人は、社会の中で生きているが、同じ社会とは言っても、それぞれに抱えている現実は違っているし、その違いを表す言葉もまた、主観的なものでしかありえない。一体、共通理解がありえるのだろうか。ありえるのは、自分の主観でしかないし、自分が感じとれるのは、自分の感覚だけかもしれない。あるシンポジゥムで、養老孟司が次に様なことを言っていた<汚くなった(古くなっただったかな)日の丸は雑巾にして良いか> あなたは、どうするだろう。

 私は、<君が代でない国歌を作ろう>と呼びかけたい。明治以降作られた国や歌の形をもう一度それぞれに捉え直してみよう。私たちは、みんな、社会との関係の中で生きているけど、自分の大事にする価値が、個の自由にあるのか、集団への忠誠にあるのかを、よーっく考えて決めるべきだろう。決められるということについては、私たちは、まだ個の自由を享受していると言えるだろう。

 選挙は、大事な祭りである。

2 コメント:

titan さんのコメント...

本文が「文字化け」しているみたいなので、コメント欄にコピーペーストしておきます。

政治は、もともと政(まつり)事(ごと)だし、選挙は、祭りに他ならない。選挙は、勝ち負けの世界だから、スポーツと同じように、好きな、ひいきの、ファンの候補者を応援する。               
 この、好きなとか、ひいきのとかいう感覚、感情が元になって、人は、その人の好きな所を集めたり、また、別な人の嫌いな所を集めたりする。そして、確信を持って、お互いに対立するようなる。こういったことで生じる信念の対立は、選挙以外では、好ましくない場合もある。逆に言うと選挙だから、許されるのかもしれない。
 ところで、私は、心理学を専攻している。日頃、指導教員から、どういう根拠で?、それは科学的?、論証可能?と指摘を受けることがある。選挙を観察してると分かるのだが、ある候補者の支持者が、同じ所を見て支持してるとは限らない。心理で言えば、同じ人を見て、その人の性格や状態を表す場合に、見方が見る人によって違うことがおうおうにしてある。ということは、客観なんてないのかもしれない。
 人は、社会の中で生きているが、同じ社会とは言っても、それぞれに抱えている現実は違っているし、その違いを表す言葉もまた、主観的なものでしかありえない。一体、共通理解がありえるのだろうか。ありえるのは、自分の主観でしかないし、自分が感じとれるのは、自分の感覚だけかもしれない。あるシンポジゥムで、養老孟司が次に様なことを言っていた<汚くなった(古くなっただったかな)日の丸は雑巾にして良いか> あなたは、どうするだろう。
 私は、<君が代でない国歌を作ろう>と呼びかけたい。明治以降作られた国や歌の形をもう一度それぞれに捉え直してみよう。私たちは、みんな、社会との関係の中で生きているけど、自分の大事にする価値が、個の自由にあるのか、集団への忠誠にあるのかを、よーっく考えて決めるべきだろう。決められるということについては、私たちは、まだ個の自由を享受していると言えるだろう。
 選挙は、大事な祭りである。


そこで、この意見に対するコメントですが
「国歌は必要なのでしょうか?」
それがなくては国家の体裁を保てないというのは
本当でしょうか?

titan さんのコメント...

文字化けは、私の使用しているブラウザが「サファリ」であるためのようです。「インターネットエクスプローラ」では正しく表示されています。失礼しました。